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コロナ不況なのに原材料高騰　でも価格転嫁できない日本

群馬県高崎市郊外の丘陵にある長坂牧場。50年以上続く家族経営のこの牧場を、世界的な商品価格の高騰という荒波が襲っている。
「この10年、経験したことのない事態だ。どうにもならない」
牧場を営む長坂仁さん（53）は言う。
乳牛約280頭から取れる生乳が経営の柱だ。費用の6割を占める牛のえさは、配合飼料も牧草もほとんどが輸入品。1年前は1トン3万8820円だったが、今は4割も高い5万4790円に。値上がり分の一部を補助する国の制度はあるが、全く足りない。
飼料などの農産品、鉱物、木材、原油。コロナ禍による不況にもかかわらず、様々な資源の価格が跳ね上がっている。皮肉にも、その大きな要因は、各国がコロナ禍を受けて打ち出した経済対策だ。中央銀行が利下げや量的緩和で市場に大量のお金を流し、政府も家計に給付金を配った。膨らんだマネーは、株式市場や仮想通貨だけでなく、原材料を売り買いする商品市場にも向かった。
米欧を中心にワクチン接種が進むと、経済活動が再開し始め、需要も増えて価格高騰に拍車がかかった。原材料の多くを輸入する日本では、原油高で輸送費が上がっていることや円安も値上がりにつながった。
ところが、日本では、多くの企業がその値上がり分を販売価格に上乗せするのに二の足を踏む。長坂牧場でも、自社工場で販売するヨーグルトなど乳製品を値上げしていない。生乳価格も、農協と乳業メーカーの交渉で決まるが、飼料の高騰に比べて大きく変わっていない。長坂さんは「高くしたら買ってくれない。売れなかったらどうしようもない」と話す。
幅広い原材料費の値上がりを受け、企業間の取引価格の動きを示す「企業物価指数」は先月、前年同月比で5・0%と大幅に上昇。2008年9月以来の高さになった。とりわけ輸入物価は円ベースで過去最高のプラス28・0%を記録。一方で、消費者がモノを買うときの値段にあたる消費者物価は足元で横ばいが続く。原材料の値上がり分を企業が価格に転嫁できず、のみ込んでいる構図だ。
大規模な金融緩和による市場のゆがみも、物価を上げたくても上げられない状況も、日本にとってはコロナ前から続く大きな課題だった。2%の物価上昇を目標に、日本銀行が大量のお金を市場に流す「異次元緩和」を始めたのは13年。当初は2年間限定のはずが、物価が目標に届かないまま常態化し、コロナ禍でますます出口が見えなくなっている状況だ。
物価の低迷が続く日本とは違い、米国では、賃金アップと物価上昇の連鎖が動き出した。タコスなどが人気のファストフードチェーン「チポトレ・メキシカングリル」は6月、4%の値上げに踏み切った。従業員の時給を平均15ドル（約1650円）に引き上げると前月表明しており、人件費を転嫁するためだという。
6月の消費者物価指数は前年同月比5・4%も上昇し、約13年ぶりの高水準に。米連邦準備制度理事会（FRB）は「インフレは一時的」との立場を崩さないものの、ニューヨーク連銀の調べでは、米国の消費者は1年後も4・8%の物価上昇が続き、収入も2・6%上がると期待しているという。
インフレ懸念もあり、世界ではむしろ、金融緩和をどう縮小するかに議論の焦点が移りつつある。米連邦準備制度理事会（FRB）は6月、ゼロ金利の解除（利上げ）を23年に前倒しする見通しを示した。パウエル議長は「経済が目標により早く向かうことは歓迎すべき進展だ」と語った。欧州中央銀行（ECB）も今年の物価上昇率の見込みを1・9%に上方修正。政策理事会の一部メンバーは、金融緩和の縮小時期について言及を始めた。
一方、日銀は16日に公表した「展望リポート」で、物価上昇率見通しを21年度0・6%、22年度0・9%、23年度でも1・0%にとどめた。物価上昇2%の目標達成は見通せないままだ。黒田東彦（はるひこ）総裁は会見で「大規模な金融緩和を粘り強く続ける」と緩和を維持する姿勢を強調した。
物価上昇には、値上がり分を上回る賃金上昇が必要だが、日本の実質賃金指数（15年を100とする）はこの20年で112・4から98・6へと低下。経済協力開発機構（OECD）によると、日本の賃金は加盟国平均を下回り、比較できる35カ国中22位に下がった。大手精密機器メーカーに勤める男性（32）は副業でブログやライターの仕事を始めた。「毎年の昇給は微々たるもの。残業代がなければ生活に余裕はなかった。会社が成長する未来も描けない」と嘆く。
ワクチン接種が進めば、これまで我慢した分を取り返す「リベンジ（仕返し）消費」が盛り上がり、物価が動く可能性もある。ただ、長続きはしないという見方が根強い。
物価問題に詳しい渡辺努・東大院教授は「日本では物価は少しも動かないもので、それで問題ないと消費者が思い込んでいる。それでは賃金も上がらない」と指摘する。